最近、このブログの記事を読んでいただいた方は、私が『成功には思考と感情の観察』を力説していることに気付かれていると思います。
なぜ『思考と感情の観察』が、成功につながる or 潜在意識活用の基本となるかは、潜在意識の活用で大切な3要素 に詳細に書いておりますので、ぜひ一度お読みください。
Contents
思考と感情は、潜在意識の一部
思考と感情は、簡単に言いますと、潜在意識の一部が顕在意識で認識できたものです。
ちょっと理解し辛いと思うので、わかりやすい、誰でも体験しやすい例で説明します。
ヴィパッサナー瞑想(アーナパーナ瞑想)などの瞑想では、呼吸に意識を集中させることによって、雑念をはらって無になることに努めます。
しかし実際は、なかなか無にならず、雑念(思考と感情)がドンドン浮かんでしまうと思います。
雑念は、思考と感情
雑念こそ、思考と感情であり、潜在意識の作用によって、知らず知らずのうちに(無意識に)顕在意識に浮き上がってきたものです。
つまり、雑念を意識で止めようとしても、無意識のうちに浮かびます。
理由は、雑念が浮かぶことを顕在意識でいくら止めようととしても、潜在意識は、非常に強力で強大なので、過去や最近の記憶を勝手につなぎ合わせて、今ある危機や懸念事項や楽しさなどに関連づけて、雑念をドンドン浮き上がらせてくるからです。
これは、潜在意識の性質なので仕方ありません。
逆に言えば、潜在意識のこの作用のおかげで、人間は様々な危機を察知できているのだと思います。
まとめると、潜在意識は過去の記憶を勝手に結び付けたり、混ぜたりして、顕在意識側に浮かび上がらせる性質があるということです。
また、この雑念は、潜在意識の全てではなく、顕在意識で認識されやすい部分、つまり最近の記憶や体験や今のあなたの懸念事項に対して、過去の記憶や体験をもごちゃ混ぜにして浮かび上がらせているだけです。
雑念は、潜在意識の一部であり、本当のあなたではありません
つまり、雑念(思考や感情)は、潜在意識の一部が顕在意識で認識可能になった状態であるので、雑念(思考や感情)を本当のあなたではありません。
本当のあなたは、潜在意識の奥深くのもので顕在意識にまで浮き上がってこないものも含めた全てであって、非常に大きなものです。
ゆえに、顕在意識で全てを認識することは不可能です。
したがって、瞑想中に浮かんだ雑念を、本当の自分と思ってはいけません。
繰り返しますが、瞑想中に浮かんだ想念は、あくまでも、自分の中の一部(思考、感情)が浮き上がったものと認識してください。
しかし、人間は、太古の昔から瞑想などをすることによって、自分の雑念を観察することによって、本当の自分を知ろうと追い求めてきました。
そして、すぐに浮かぶ雑念を認識し、それが気にならなくなるまで(無になるまで)、瞑想を続けることによって、本当の自分を知ろうとしていたのだと思います。
しかし、瞑想を続けるうちに、本当の自分を知ろうとするよりも、あることに気付くことによって、思いもよらない深い納得感を得ました。
悟りとは、今あることに感謝、無常観に気付くこと
その深い納得感とは、自分の本当の姿(目的、目標、自分とは何なのか)を追い求めるうちに、本当の自分を知ることよりも、今あることに感謝したり、全てが変化しているという無常観に気付くことそのものです。
つまり、今自分があること、この世のすべてが諸行無常で常に変化し、はかないものであることを認識することで深い納得感が得られることを知りました。
つまり、このような状態を悟りをひらいた状態としたのだと思います。
今あること、この世のすべてが絶えず変化して諸行無常であるならば、本当の自分も常に変化するものであるため、掴みどころがなく、その全容を掴むこと自体に意味がなく、単に今があり、諸行無常であることに自然に気付いた(認識できた)ときを、悟りをひらいたとしたのだと思います。
瞑想中の雑念は、本当の自分の一部を客観的に垣間見ることになり、より良い行動の手がかりとなる
悟りをひらくことは置いておいて、先ずは瞑想などで自分の思考と感情を観察することは、潜在意識の一部を垣間見ることになるので、本来の自分を多少なりとも知ることになります。
つまり、瞑想中の雑念も、無になることを目的とすると苦しいですが、本当の自分の一部を客観的に垣間見ることになるので、より良い行動を選択して実行するための一つの手がかりとなります。
つまり、雑念は雑念でそれなりに利用価値があるのです。
ゆえに、瞑想においては、雑念が浮かぶことをネガティブに捉えず、本当の自分の一部が溢れ出てきている状態であると思ってやれば、かなりポジティブに捉えることができて、瞑想を楽しみ、意味あるものになると思います。
ぜひ、みなさまも今回の記事を参考に瞑想をやってみてください。