あけましておめでとうございます。
このブログも開始してから約2年が経過しました。
このブログを開始した頃、実は瞑想を毎日の生活の中に取り入れました。
ゆえに、私の瞑想歴も2年になります。
今回、瞑想に関しては、全くの素人の私が2年間でどのように変化したかを、具体的に書いてみます。
因みに、既に書いた瞑想の記事はコチラです。
宝彩有菜『始めよう。瞑想15分でできるココロとアタマのストレッチ』
雑念はドンドン湧いてOK
瞑想を始めて、まず最初に壁にぶち当たるのは、雑念の処理だと思います。
私もヴィパッサナー瞑想や宝彩式瞑想を実践する上で『雑念が湧いた時に、呼吸に集中する』に注意しながら実践しました。
しかし、現実は、雑念処理方法が具体的に体感として掴めず、なかなか四苦八苦しました。
この雑念の処理方法としてよく言われるのは・・・
雑念を棚上げする
雑念を消す
雑念が湧いてもとらわれない
雑念を流す
雑念を眺める
常に呼吸に集中
・・・etc
雑念の処理については、いろいろな方法で説明されることが多いです。
ただ、どれも私は上手くいきませんでした。
そんな時、やけになって・・・
『ドンドン雑念湧いてしまえ!全部で尽くしてしまえ!』
・・・と少々荒っぽいですが、思いっきり意識丸出しの状況で瞑想をしました。
すると、今までになかった感覚をボワッと味わいました。
具体的には次のような感じです。
私の脳からドンドン雑念が湧いてもOK!!と思ったとたん、気が楽になり、雑念と自分の肉体が、分離されたような感覚になりました。
なんとなく、心地よい状態で、雑念が自分の廻りに浮かんでいるような感じになり、自分の体には空洞ができたような状態になりました。
そして、呼吸が自然に静かにできている状態にもなりました。
これが、瞑想として正しい状態か否かは判断できなかったのですが、とにかく今までにない初めての感覚だったので、しばらくこの状態を味わいました。
一旦、瞑想を終わった後、もう一度瞑想をしたところ、同様の感覚が得られました。
なぜか、この状態が上手くいっている状態と思えてしまった、瞑想の度に、雑念をドンドン湧いてもOKと思考して呼吸に集中するだけで、自然とこの状態となりました。
繰り返すうちに、無意識に日常の中でも、このような状態に入るようになりました。
そして、だんだんわかってきたのは、この状態が自分を客観視している状態なのかもしれないと思えるようになりました。
そして、この状態に入れるようになると、気付かないうちに不安や焦りのようなものから解放されてました。
つまり、気持ちが楽になったような感覚になりました。
正直、自分でも驚きましたが、これで良かったと思ってます。
私の解釈ですが、雑念とは思考であり、無駄な思考、つまり不安や焦りだと思います。
これら不安や焦りは、潜在意識が、過去の記憶から今の自分に対して、過去の経験ではこうなったという結果(多くは失敗の経験)を、今の自分に対して警告を発してくれているのだとわかってきました。
厳密には、過去と現在は状況が異なるのに、潜在意識は雑念という形で、とにかく今の自分を守るために最大限活動をしてくれているのだと思います。
つまり、過剰防衛ですね。
言い換えれば、自分に対する心のブレーキと言われるものかもしれません。
瞑想を繰り返すうち、瞑想中の雑念は、過去の経験い基づいた今の状況への警告であると、認識できるようになりました。
ここまで、体感として理解できるようになると、瞑想中の雑念の処理は、単に過去の経験い基づいた予測の一つと認識できているので、冷静に雑念を見ることが可能となります。
つまり、雑念は消す必要はなく、とりあえず冷静に見ることができれば、それでOKです。
それ以上、雑念を消そうと躍起になると、雑念を消すことに必死になってしまって、瞑想どころではなくなるので、そのまま適当に放置しても良いです。
これが、雑念の具体的な対処方法として理解できたことです。
瞑想の時間は適当でOK
瞑想をやる時間に関しては、当初は1分~3分程度で、繰り返し行うのが良いと思います。
個人的には、瞑想に入るトレーニングを積んで、瞑想状態に上手く入れるようになれば、時間は関係なく、いつでも瞑想できると思うからです。
とにかく、瞑想状態に入るトレーニングを繰り返し行った方が良いです。
この方が、変な癖がつかず良いと思います。
上手くできなくてもそれでOK
初めのうちは、上手くできたのか?、できていないのか? 判断ができず、不安になると思います。
ココは単純に、瞑想が上手くできなくてもOK。ただただ、単純に瞑想に入るためのトレーニングをする。
というスタンスで気楽にやることをおすすめします。
自分にプレッシャーをかけると、瞑想に余計入り辛くなると思うからです。
まずは、自分の気持ちを楽にすることを最優してください。
最も良かったのは客観視
私が瞑想をして良かったと思ったことは、上述したとおり、日常生活での自分を客観視できるようになったことです。
つまり、瞑想とは、言い換えると自分を客観視するためのトレーニングだと思うのです。
雑念についても、基本的には主観的なものであり、呼吸についても主観的なものです。
瞑想を通して、主観的な雑念や呼吸を客観的に感じることによって、自分の主体的部分が空洞化されれば、かなり自分の中に変化を感じとれるようになります。
私の場合は、瞑想を通して、その時、その時の自分の感情を客観視できるようになりました。
このことが、瞑想をやった良かった最大の効果でした。