一旦最終話 雑念に支配されるのはもったいない!

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一年半続けてきたブログですが、とりあえず、このへんで一旦最終話とします。

※ 2017年7月4日18:00 追記訂正・・・気が向いた時に更新します。ただ、今までのように聖天様、精神、心理、願望実現には限らず、話題はテキトーに・・・もしかしたら日記レベルになるかもしれません。どうせなら気楽に書きたいので。

※ 2017年7月4日18:25 追記訂正・・・やっぱり300記事まではいろいろ書きます・・・結局書きたい病が出てきた(笑)・・・いいよね。

と言いますのも、私自身、瞑想、アクティブブレインセミナーなどを通して、自分なりに悟ったからです。

大袈裟かもしれませんが、本当に一つ悟りました。

今日は、そんなお話しです。

今後は、今の自分の状態から過去記事を見て、修正すべきところを修正するリライト作業に当てます。

おそらく、過去記事の内容もかなり良くなると思いますよ!!

ちなみに・・・なぜ生駒聖天様を本気で信じると良いことが起こるのか?ということも実体感として悟りました・・・これに関しては、生駒聖天様関連の記事をリライトした時にでも追記しようと思いますので、今後もぜひ読んでくださいね!

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すべて自分の感じ方・・・雑念に支配されてはもったいない!!

結局のところ、よく言われる 『すべて自分の感じ方』 しだい。

ということがわかりました。

これは、主に瞑想をしているときに、自分自身が無用な雑念に支配されていることに気付き、自覚できたため、感じ方がすべてと素直に理解できるようになりました。

これは、本当に大きかったです。

・・・というか笑ってしまうぐらい・・・

『自分で自分自身を苦しめたりしていたことに気付き、これではもったいない!!』

と素直に思えるようになりました。

本当の自分・・・潜在意識の自分・・・脳の奥深いところの自分は、

誰にも侵されない場所なのに・・・

雑念は、あたかも『本当の自分が侵されるかもしれない!』と脅してくるのです・・・

コレも自分を守る一つの機能なので、悪いわけではないのですが、瞑想を続けることで過剰に反応している状態であると素直に気付きました。

つまり、NLP的に言えば、上手くディソシエイトできる状態にまでなり、リフレームできるようになりました。

そして更に、アクティブブレインセミナーで、イメージ+集中 で無限に記憶できる自分に気付いたことによって、自分の才能、能力が無限であることを体感して・・・

『脳を無用な雑念で支配されるのは、本当にもったいない!』

『自分の脳が他事や悪い気分に支配されては損だ!!』

と本気で思えるようになりました。

これは大袈裟なことではなく、イメージ連結法を使えば、本当に無限に楽々覚えられることに気付いたことをキッカケに、自分の脳を雑念や悪い気分で無駄遣いすることに心の底から無意味さが込み上げてきたからです。

そして、更に次のように考えるようになりました。

雑念は消すのではなく、放っておく

僕の場合は、明確な願望というものがなく、むしろ・・・日々の生活の中で『今やるべきこと』『今集中すべきこと』『これをやったらあの人に●●と思われる』・・・等々、今の自分にブレーキをかける状態、しがらみ、悪い気分にさせるものからの逃避、解放、自由になりたいということが真の願望だと気付きました。

これは、瞑想の中で一番多い雑念が『アレをしないと』、『あの人に●●と思われるのがイヤ』・・・等々で占められていたので、まずは当面の願望としては、これらの雑念からの解放されることであると考えました。

そこで、まずやったのは、これらについてきちんと認識することです。

つまり、エエ格好をするのではなく、素直にイヤなことを自覚、認識することです。

そして、それらは、本当の自分を侵すことがないただの雑念であると認識することです。

これらを、瞑想をしながら浮かぶ雑念を上手く処理できるようになってくると、同時に自信も湧いてくるようになります。

具体的には、雑念を消し去る・・・と言うよりも、『雑念を追いかけない』『雑念をその場に放っておく』『雑念放置プレイ』という感覚です。

では、雑念が放置できるようになると・・・いよいよ、自分に植え付けるべきものがダンダンハッキリしてきます。

ただ、この雑念の放置は、意外に勇気がいることなんです・・・実際に雑念を消そうとしたり、ホッタラカシにすると『なにか自分が置いていかれたような妙な不安感』に陥ります。

でも、これらをキッチリと認識すると、今スグに迫る危機、案外する片付けられる危機、どうにでもなる危機、単に相手から●●と思われたい危機であることに気付きます。

でも、この不安も自分の雑念から出てきたものであることが多いです。(宝彩さん流に言えば、これが『プログラム』なのかもしれません。)

雑念の反対が本望、願望であることが多い

私の場合は、いろいろやっているうちに、雑念の反対側の概念そのものが私自身が望んでいる本望・願望ではないか?

と気付いてきました。

つまり、私は何物にもとらわれずに、自由に、好きなこと、今やるべき仕事、義務に集中したい!!

という集中力が欲しいのだと気付きました。

だから、私の場合は、お金持ちになりたい、仕事で成功したい・・・ということよりも、今に集中したいということだと認識できました。

結構、これは自分にとっては大きかったです。

ここに気付けたことで、下記図のイメージが、自分の胸、頭、全身に張り付いているイメージをするだけで心がスッキリ爽やかになります。

これは、言葉では言いあらせません。

体感的に、ズンズンするし、気持ち良いし、スッキリする感覚です。

おそらく・・・この非言語的な感覚が体感覚で現れる状態が、潜在意識に願望が到達した状態であると思います。

今、私は当にこの状態にあります。

こうなってくると、このイメージと体感が、今の自分にドッシリとした安心感を与えてくれてます。

おそらく・・・これが自信といわれるものなのかもしれないと思ってます。

そして、この自信があれば、人生を楽に楽しく喜びに満ち溢れて生きていける!

と素直に思えるようになりました。

更に・・・お金を得ることも簡単であると認識できるようになりました!!

ココまでくるのに1年半かかりましたが、今はドッシリとした安心感に浸ることができました。

まとめ

雑念に支配される無意味さに気付く

雑念を放置しても心配無用・・・あくまで雑念だし、その雑念は脳の奥深くの本当の自分を侵したりできない。

今に集中できることが喜びに思えるようになる。

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