一つ前の記事 村山聖の生涯で感じた『自分』の本質 にも書きましたが、
おそらく人の究極の幸福とは『生き延びること』ではないかということです。
願望が生きることに直結した瞬間、幸福がスタートする
最近思うのは、生存欲求こそ幸福の原点であるということ。
つまり、日々の衣食住が満たされること。
その次に、精神的な欲求・・・社会的地位の獲得、他人からの承認・・・等々だと思われます。
ただ、やはり生きることの延長線上に『願望』があることが最強ではないか?ということです。
人は、無意識に呼吸をし、血液を流し、食べ物を消化し、排泄し、生きております。
つまり、基本的なことは全て意識しなくとも無意識になされているのです。
したがい、願望が無意識の生の欲求に近いところであればあるほど、実現しやすいと思うのです。
つまり、飢え死にするような環境であれば、死に物狂いで食べられるものを追いかけるでしょうし・・・無意識にそのように動くでしょう。
したがい、思考して生まれるものではなく、もっと本能に近い部分が発端となる願望を抱くことで、実現しやすくなると思うのです。
なぜその願望を抱いたのか?
と考えるのではなく、自然と無意識に湧くような願望を持つことが大切と思いました。